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Definitely Maybe





 いよいよアルバムが発売されるというときには、オアシスはひとつの問題を抱えていました。


それは、ドラムが下手過ぎるということでした。







ドラム担当はトニー。彼は、ほかのメンバーとはそりが合いませんでした。


トニーだけは、どういうわけか音楽に情熱を注いでいるようには見えなかったのです。







元々戦闘民族サイヤ人のような気性を持つギャラガー兄弟はもちろんのこと、ギグジーにもいじめられます。



みんなトニーにやめてもらいたかったのですが、ドラムというポジションをじっくりと探す暇はなく、



実行に移すことはできませんでした。






トニーはですね。リアム氏には「少しでもくだらないことを言ったら、どんな目に合うか分からない」と常時脅迫されたり。




ギグジーに「ナイフでお前のはらわたを突き刺してやる」と本気で言われたりしました。




あまりにもひどいので、ノエル氏に「ギグジーがナイフで刺すって脅すんだ。奴は本気だよ。何とかしてくれ」と相談。












ノエル氏回答「ギグジーにこう伝えてくれ。

























安心しろ。俺が先に刺してやるってな










ま、口だけじゃなくてボコスカ殴られます。ボーンヘッドはトニーに同情的でした。ちょくちょく話をしてあげたりもしていました。



ボーンヘッド、さすがです。はげているけど優しいジェントルマンですね。ところが、












アメリカツアーが始まったあたりから、一緒になっていじめ始めます。







というわけで、トニーはオアシスからだんだん居場所がなくなっていき、存在価値も薄くなっていきました。













1994年、9月8日に発売したDefinitely Maybeには、Whateverはおろか、All Around The Worldも使いませんでした。


メンバーはそのことを不思議がりました。


でも、ノエルはこう思っていたんですね。「まだ、始まったばかりじゃねえか」



この頃、All Around The Worldには仮タイトルがつけられていました。
それは「Be Here Now」、「いまはまだここに置いておく」という名前でした。
それは、サードアルバムのタイトルになります。








Definitely Maybeのジャケットは、実はボーンヘッドの家なんですね。


このアルバムは、全英チャート1位を記録し、史上最高速度でセールスを獲得していきます。

それは、ビートルズやマイケルジャクソンすらも凌いだということでした。









ところが、この年の最優秀アルバム賞は取れませんでした。記録的なセールス、揺るぎないロックンロール、

そのギャラガー兄弟の眼前に立ちはだかったのはブラーでした。







ブラーの「Park Life」。オアシスの「Definitely Maybe」。


この二枚は翌年までイギリスのチャートトップ10に居座り、やがてふたつのバンドは激しく火花を散らすことになります。




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