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「ねじまき鳥クロニクル」














<DATA

1994年第一部「泥棒かささぎ編」、第二部「予言する鳥編」を刊行。翌年に第三部「鳥刺し男編」を出版。


約4年という歳月をかけて、村上春樹がはなった渾身の作品。

そのテーマは果てしない暴力であり、かたちの無い矛盾世界である。


性描写が激しく、シーン描写はノモンハンの戦争や都会世界、
枯れた井戸のなかに至るまで様々で、ところどころで無意味な暴力が書き出されている。


村上春樹特有の超現実的なシーンも連発で不思議な話なのだが、
妙にリアリティーがあって、怖い小説となっている。


読売文学賞受賞作。ちなみに関係ないけど、村上龍も「イン・ザ・ミソスープ」で同賞を受賞している。












<感想


ストーリーに統一感がないというか、個々のパラダイムが独立し過ぎていて、つなぎとめ切れていないような感がある。


実際、この小説はいくつもの短編小説が基礎となっていたりして、そのシーン、シーンでの描写は素晴らしいのだが、


一貫性に欠けるものとなっている。クロニクルとは年代記の意味であり、そのタイトルを使いながらも、順列というものが存在しない。


特に象徴的な暴力の存在である綿谷昇が書き切れていない。いろいろな意味で、未完成の小説のような気がする。


しかし、完成された世界など永遠に存在しないのであって、そこが怜悧なリアリズムに繋がっている。




「風の歌を聴け」では、セックスや死といったテーマには村上春樹は惹かれなかった。

だが、10年後、「ノルウェイの森」で結局はそこに行き着いた。


そこからまた月日は流れた。





アメリカという土地で長いあいだ暮らし、外の目から日本という国を眺めてみて、
世界には無意味な暴力がいきまいていると村上は感じた。


また、これまでの村上の小説は個人的な物語が大半で、
家族関係や歴史的包括性を書くことはなかった。


今作品では個人的な視点から、相対性へのシフトがひそやかにおこなわれて、
様々な事象の絡み合いがこの小説のポイントとなっている。







全体を通しての個人がいかに無力であり、時には暴力的なものに巻き込まれて、ひどく傷を負わなければならないのか。

そこには釈然とした返答は用意されていない。ただ、世界がそういう構造であるからとしか言えないでいる。





個人というものが前面に出ている格好の時代にぼくたちは生きている。

個人の自由が保障され、個人の幸福の追求が人生のテーマですらある。


だが、相対性からは逃れることはできない。そして、相対性を抜きにして、人は生きてはいけない。




その連環のなかには無意味な死もあれば、
暴力や歴史的な国家の背景が存在する。
それらは混じり合っていて、純粋にひとつの要素としては抽出はできない。




だから、この小説は統一感がなく、
様々なかたちでのキャラクターや小さなストーリーが入り混じっているのだと思う。



簡単に白と黒に分けることができるあっさりとした世界にぼくたちは生きてはいない。
そのフィールドはどんな色にでもなりうる。




村上春樹は書ききれなかった、とぼくは思う。
でも、それはそもそも最初から書ききれるものではなかったんじゃないか・・・・・・。






例えば、イラクで多大な死者が出たわけだけど、そこにははっきりとした境界線なんて存在しない。

死ななくてはならない理由はなかった。でも、次々と命が犠牲になった。


それが現実だ。



村上がアメリカから帰国してまもなくのことだった。日本では大変な殺戮が起こることになる。

それは地下鉄サリン事件だった・・・・・・。







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