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「ここまでの道のり」 りっきーさん


2009年のフジロックが終わった。


思えば今回はoasisが出ると決まる前から行くことにしていた。

ライブもそうだが、「フジロック」というイベントそのものに興味があったからだ。


チケットを取り、宿が決まってもまだ実感はわかなかった。


ところが、その後oasisの出演が決まった。

また、あの「仲間たち」と会えるとわかるだけでなんだか嬉しくなった。


一週間ほど前になってようやくフジが現実味を帯びてきた。

ちょうどそのころに仕事上のゴタゴタがあったこともあって

早く苗場にいってみたい気持ちがより強くなった。


あの大自然に触れて音楽にどっぷりと浸りたい。


木曜日、東京駅へたどりつき、電車を待っているとたくさんの「フジロッカー」を発見した。

大きなキャンプ用品を抱えた外国人や、折りたたみ椅子を持った人々。

越後湯沢行きの新幹線に乗り込むと乗客はほぼ全員「フジロッカー」。

いよいよだ。


越後湯沢駅に降り立つと、雲が立ち込めていた。

山は霧で煙っていてよく見えない。嫌な予感がしてきた。


翌日、起きると時折雨の降る天候だった。

バスに乗り込み、徐々に会場に近付くと天気は悪くなる一方。

会場の苗場スキー場に着いたころには大粒の雨が降っていた。

バスに乗っていた「フジロッカー」は急いでカッパを着込む。


1時間ほどしてようやく入場。

入場ゲートでは清志郎の人形がお出迎え。

「ああ、ついにここに来たんだ!」


入り口から泥だらけの地面を歩くとようやくステージが見えてきた。

早くもフジの洗礼を浴びた気分だった。


しばらくして、大勢のオアシスファンと再会した。

顔なじみの人から「名前だけは知っている」方まで。


中には初フジ初オアシスなんていう子もいた。羨ましい限りじゃないか。

僕より若いファンもかなりの割合でいた。

彼らの顔はきらきらと輝いていて、学生だった頃の自分の姿と重なったりもした。


雨は止まないどころかどんどん強くなっていく。

無数のレインウェアを身に付けた「フジロッカー」たちは移動するのにも一苦労。

足場はまるで沼のような状態。


メインのグリーンステージにたどりつくと、大きなシートを広げてくつろぐ人々の姿。

これこそ写真で見たフジの光景そのものだ。


この日は移動することすら困難な状況だったので、グリーンに居座ることにした。


強烈なパティ・スミスのステージ、そして貫禄たっぷりのポール・ウェラー。存分に堪能した。

ふたりとも年を取っているはずなのに全くそんなことは感じさせない。


あたりが暗くなっていき、いよいよオアシス。


いつものように「Fuckin' In The Bushes」が鳴り響くと、いつものようにステージは始まった。

打ちつける冷たい雨のおかげで、前の方はオーディエンスの汗が湯気となって漂う。

いつかのフィンズベリー・パークで見たような光景だった。


演奏中ふと後方を見渡すと、そこは見渡す限りの人で埋め尽くされていた。

もう既に地面は沼を通り越して水田の状態。

それなのに、誰一人としてその場を離れようとはしない。


これだけの数の人がこのバンドをずっと待っていたのだ。

そう思うと嬉しくてたまらなかった。


ライブそのものはいつもと変わらないように思えた。

だいたいこのバンドに何か変わったことを要求するのは無理だということも十分わかっている。


しかし、この会場ではその思いも変わってしまう。


Don't Look Back In Anger。あの場にいたほぼすべての人が一緒に歌った。

歌いながらあんなに嬉しそうにしているノエルの表情は久々に見たような気がする。


Champagne Supernovaからはモッシュを脱出して遠くで見ることにした。

よく見ると山の斜面まで人が埋め尽くしている。

幻想的な光景だった。


外に出ていくとそこにはまた仲間が一人。

「ここで見るのもいいよね〜!」とお互い意気投合した。


リアムが「これが最後だ」と言って「I Am The Walrus」が演奏されるとライブは終わった。


悲しいことに終わった後には誰も「仲間」はいなかった。


しかし、ふと携帯をのぞくとそこにはある「仲間」からの着信が残っていた。

それは今回フジに行けなかった大阪の聡馬くんだった。


急いで電話をかけると、彼は僕のライブの感想を延々と聞いてくれた。

10分か15分程度だったが、ほとんど一方的な話に近かった。


でも彼はその熱い思いをきちんと受け取ってくれた。たとえ会場にいなくても。

きっと彼も電話の向こうでさっき出会った若いファンのようにきらきらした表情をしていたに違いない。


同じ気分を味わいたくて、ライブが始まる時間と同時にセットリスト通りに聞きますと言っていた。

そんな彼に少しでも雰囲気を伝えられたのならそれで十分だった。




オアシスが終わった後、なぜか涙は出てこなかった。


「あのオアシスを生で、しかもフジで聞いたのにどうして…?」


しばらくは自分でもその答えがわからずにいた。


よくよく考えればライブも10回ほど行き、気付けば死ぬほどライブ音源も聞いていた。



要は聞きすぎて「あの頃」の感覚を完全に忘れてしまっていたのだった。



「あの頃」とは、初めてライブに行った時のこと。あれは名古屋のサマソニイヴだった。

前の日から寝付けなくて、でもわくわくして見に行ったのをよく覚えている。


そのときの感想を自分のHPに書いていた。

今では消えてしまったが、その時書いていた文章を思い返すとライブを聴けたという新鮮さで満ち溢れていた。



まさに若いファンの彼らがもっている思いとまったく同じだった。



確か2週間ほど前だったと思う。

何人かの人に「なんで韓国行かないんですか?」と聞かれた。

僕は「いやあ、スケジュールきついし、フジ捨てられないし…」と答えた。


結果的には、韓国に行かなくて正解だった。


行っていたらまた「なぜ?」という思いが再び蘇っていたに違いない。


それはフジロック2日目の時に確信した。


フジロックを最後まで楽しもうと。


そう決めたからだった。


僕はここにいなくてはならない、と。



それに、ここに来れなかった大勢のファンの顔が浮かんだ。


さっきの聡馬くんや、関西勢の大多数。それに仕事で来れなかった人。


そういう人たちのことを考えたら、自分の悩みなんてなんてちっぽけで贅沢なものかと。

そう思わずにいられなかった。


彼らにもまたチャンスがあればいいと思う。いや、絶対にそうであってほしい。




「自分のことは自分で」。それがフジのスローガンだ。

自分のことを守れない人間は容赦なく大自然の猛威にさらされる。

サンダル、ビニール傘で来ていた人達はかなり痛い目に遭っていた。



フジロックにはもうひとつの顔があった。大勢のボランティアの存在だった。


彼らは決してお金をもらって働いているわけではない。

それでも彼らの表情もまた若いファンのそれと同じく輝いていた。


ゴミ集積所で分別を担当しているボランティアもいた。

普通に考えれば誰もが嫌がる仕事のはず。

だけど、近くのステージで奏でられる音楽に時折リズムを合わせながら、実に楽しそうに仕事をこなしていた。


2日目。なんといっても「清志郎」のステージが圧巻だった。

初日のオアシスに匹敵するくらいの人がグリーンステージに集まった。

スクリーンに映し出される在りし日の清志郎と、その友人たちによって結成されたバンドの競演。実に見事だった。


3日目。偶然にもあの日高さんと会うことになった。

前日の清志郎のステージで競演に非常に苦労したこと、最後まで気が抜けないことを話していた。

僕は心からの賛辞を彼に送った。


僕にとってフジロックはオアシスのライブで味わう感動以上のものをくれた。

その場にいる誰もが音楽を楽しみ、そして雰囲気を楽しむ。

実に単純に思えて、実は普段忘れかけていたことだった。






ありがとう。フジロック。




清志郎を連れてまた必ず来るよ。