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果てしない想い





ソウルスタジアムで、もっとも印象的だったもの。

2階席から見下ろしていた韓国旗とユニオンジャックを縫い合わせた一枚の旗。


細長い棒の先でゆらめき、力強く彼らの気持ちを表現していた。
韓国ではオアシスというバンドは市民権を得ていないし、
CDは一部のマニアのあいだにしか売れないと聞いた。
英語だからなのかもしれない。
ソウル市内の人たちは英語より日本語のほうが通じる場合も多く、簡単なニュアンスの英語ですら通じないこともあった。


彼らは矢井田瞳やグレイを知り、香取慎吾や木村拓哉、長瀬智也のファンであったり、日本のドラマのファンである。
電化製品のコーナーには日本製が立ち並び、ミハァやミョンヒはカシオの電子辞書を使用していた。




マスコミが抱いているほど、日本に嫌悪感を持っているような人には出会わなかったし、彼らはよく日本のことを知っていた。




オアシスはたまたま日本のことが好きで、愛情のある言葉でいつもぼくらの国を褒め称え、たくさんのライブを行ってくれる。


そして、無数の感動を残して去っていく。
2005年から2006年にかけては、オアシスにとっても最大のライブツアーとなった。

それは彼らが最高のコンディションでアルバムをリリースでき、
お互いを尊重するような姿勢でライブツアーに臨むことが出来たからだ。

日本にはサマーソニック、ツアーと計7回。



その裏で、オアシスが決してやって来ない国々のファンはインターネット上で、


「どうにかして、俺たちの国にあのオアシスを呼ぶんだ!! 何とかして、オアシスに来てもらうんだ!!」
と声があがっていたそうだ。





それでも残酷なことに来ないところには来ない。来るところには、やって来る。




来ても、縁がないと観ることが出来ない。

いろんな巡り合わせで、ぼくはこのソウルオリンピックスタジアムに立っていた。



16回目のオアシスは外国だった。
エリカちゃんのメールから始まって、とんとん拍子に進んでいき、とうとうこの場所にいる。







韓国という国の人の温かさと、そして溢れ落ちる情熱。
怒号のような歓声の波がいくつもやってきて、


それはフジロックかサマーソニックの熱の渦を経験しているようだった。

やがて、あの5人が現れて、Turn Up The Sunが始まると、
時間が吹き飛んでいくかのように次から次へと過ぎ去っていった。


ぼくとエリカちゃんはLive Foreverのときだったか、

席を捨てて階下の踊り場までおりていき、オアシスとの距離を詰めた。

そうしたら、その暗闇のなかからミョンヒちゃんが出てきて、
一緒に再会を祝い同じようにしてLive Foreverを歌った。
すると、ステージに伸びていくスロープの前方席に居た例の言葉の通じない男の子2人が、
走ってやって来て、「俺たちと一緒に来い。前で観よう」と表情としぐさで呼んでくれた。


曲の途中だったにもかかわらず、ぼくらのことを気にしてくれていたのだ。
ぼくらは急いで、彼らの席まで走り抜け、2つの席の前になぜか6人も詰めた。セキュリティーも見ぬふり。




Wonderwall、Champagne Supernova、Rock'n Roll Star。
みんなで歌い、笑いあい、喜びをわかちあった。










ぼくは日本人だった。そして、オアシスは日本が好きだった。だから、たくさんのライブを行った。


ぼくは素晴らしい経験を重ねた。
多くのファンとの出会いと感動を求めた。
それ以上の出会いと感動を受け取ることができたのだ。


もし、フジロックへ行かなかったら、
サマーソニックでみんなと出会わなかったら、もっと違った場所に人生が傾いていたかもしれないし、
もっと違った人間になっていたかもしれない。





フジロックのSlide Away、MTVのWhatever、サマーソニックのRock'n Roll Star。
たくさんの名演は、ぼくの人生の大きなウェイトを占めていた。





だけど、この国にいる人たちはいくら願っても、ずっとずっと彼らはやって来なかった。
遠い世界の違う次元だった。



2000年ツアー、ぼくが初めてオアシスを観たとき、
目の前に映っている彼らをとても信じることができなかった。


リアムが動き、歌い、腕を後ろに組み、ノエルがDon't Look Back In Angerを奏でる。
すべては巧妙に用意された夢のような感じだった。
ファンになり、2年後のライブ。それは凄まじい衝撃だった。



しかし、10年以上の空白というのはいったいどのようなものなのだろう。
想像もつかないでいたら、目の前は情熱だらけである。


揺らめく韓国旗と縫い合わされたユニオンジャック。やっと、繋がったのだ。





Don't Look Back In Anger。ノエルは1番目のサビを客に任せた。
笑っていたような気がする。任せるぐらいの迫力、並々ならぬ魂がそこにはあった。






ぼくら、エリカちゃん、ミョンヒちゃん、名も知らぬ20歳の言葉の通じない男の子2人、


みなで肩を組み、声が裂けるぐらいに歌い上げ、


ユニオンジャックを揺らした。ぼくは幾度となくドンルクを聴いているけども、いつ聴いても、注ぎ込まれてくる感動は変わらない。



だけど、初めて聴いた生のドンルクはというと、もう忘れてしまった。











忘れてしまっていたけど、この夜にはたくさんのファンがその感情を抱いていたので、懐かしい感じだった。楽しかった。




子供の頃、幼なじみが韓国人だった。
大阪は韓国の人が多く、僕は気が付くとその文化に親しんでいた。





ぼくにとって親密な懐かしさに満ちていたソウル。


オアシスのライブでは、彼らのまっすぐな情熱に、また懐かしさと親密さを覚えてしまう。









昔、あまりウマの合わない人間にこんなことを言われたことがあって、妙に記憶に残っている。



「ライブで音を聴くより、CDで聴いたほうが音は良いよ」とかそんな言葉。


まあ、確かにそうかもしれないし、あるいはそういう比較対象の問題じゃないかもしれない。

ただ、ぼくらはそんなに賢くはない。綺麗な音を求めているわけじゃない。




そんな言葉では到底止めることの出来ない情熱。その情熱に満ちたライブを求めている。










Let There Be Loveがエンディングのテープで流れていった。ライブが終わってから集まったぼくらは外に出てやがて、



言葉よりも表情を交わし、オアシスというバンドを称えて、それぞれの帰路に着く。




ミョンヒちゃんは翌日ぼくを案内してくれる約束をしていたので、


その日二人でソウルの街に出た。


たくさんの言葉を交わし、表情に感情をのせて、


明洞を歩き、韓国の伝統的な料理を食べ、アドレスを交換し、ソウルタワーにロープウェイにのぼり、パノラマの眺望を眺め、


仁川国際空港で夕方過ぎに別れた。途中、彼女が空港行きのバスがあるソウル駅までの市営バスを乗り間違えて、
危うく飛行機に乗れないところだった。


本当に危ないところだった。
結局着いたのは締め切り5分前だったので、どうなっていたのか分からないぐらいだった。彼女は泣きながらぼくに謝った。


ぼくも途中から泣きそうなぐらいだった。
乗れなかったどうなるのか想像もつかなかった。泊まるところや金銭のことや職場への連絡のこと。


でも、途中で考えるのをやめた。なるようになれ! って気持ちになって、頭を空っぽにしたら楽になった。
ミョンヒちゃんは自分のせいだと泣いていたけど、


「ぼくはそんなに運が悪くないし、だいじょうぶだよ。何しろ韓国に来てから、いいことばかりなんだ」
とバスの途上でなぐさめた。すると、渋滞もなく、ギリギリで空港に着いた。







きちんと帰ることが出来て、こうしてレポートを書いている。
彼女にしても、オアシスがいなければ出会うことはなかった。


オアシスが日本で一度もライブをしていなくて、同じように初めてライブをすることになったら、
ぼくはいったいどんな気持ちでそれに臨むだろう。













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